□■客観的な文章を書くために
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□意見に用いる文末表現について
 ◆意見の記述文には主観的な文末表現をつける
 ◆意見の文末表現を客観度に合わせて選択する
 ◆なるべく客観度の強い文末表現を用いる
■意見の根拠を明記する
■価値観に依存する表現は避ける
■心情的表現は取り除く
■事実の根拠を明らかにする
■事実の信用度を明記する
■事実の記述文に主観的な言葉を混入させない
■事実の正誤を確実に示す
■誇張表現を使わない
□文章構造による強調
 ◆強調したい語句は先頭に置く
 ◆強調したい文は最初と最後におく



□意見に用いる文末表現について

 客観的な正しさ維持するためには、主観と客観を混同しないように、両者を区別する必要があります。
 特に執筆者の主観が混じった意見(感想や予想、主観的な分析など)を述べる際は、それが意見であると明確に分かるように書かなければなりません。

 「と思う」「である」といった文末表現は、意見を他の文と区別するのに有効に働きます。

 ◆意見の記述文には主観的な文末表現をつける
 意見の記述文には、適切な文末表現を必ずつけるようにすれば安全です。
 意見の文末表現の例を以下に示します。

(1) 確信、必然的な意見
 「確実である」「間違いない」「といえる」
 「に違いない」「明らかである」など
(2) 推論、予測
 「と考えられる」「と予想/推測される」「と見られる」「かもしれない」
 「おそらく〜だろう」「はずである」「可能性がある」など
(3) 主観、執筆者の行動
 「思う」「考える」「期待する」「分からない」など、主語が執筆者である動詞
(3) (意見を強要する)主張 
 「べきである」「でなければならない」など
(4) その他
 「良い」「優れている」「高い」といった形容
 「でなければならない」といった必然

×「A鮭は4年周期で回遊しており、B鮭、C鮭、D鮭についてもそうだった。したがって、鮭は4年周期で回遊していることがわかる」
○「A鮭は4年周期で回遊しており、B鮭、C鮭、D鮭についてもそうだった。したがって、鮭は4年周期で回遊していると考えられる
※帰納法で導かれた結果は予測であるため、意見の文末表現をつけたほうが良い。

×「『恒星間移動が不可能に近い難事である』とも考えられるから、フェルミのパラドックスだけで、地球外知的生命体の存在は否定できない」
○「『恒星間移動が不可能に近い難事である』とも考えられるから、フェルミのパラドックスだけで、地球外知的生命体の存在は否定できないだろう
※根拠が意見であるため、結論は事実といえない。意見の文末表現をつけたほうが良い。

 ◆意見の文末表現を客観度に合わせて選択する
 意見の文末表現は、客観性の程度によって選択する必要があります。
 各表現と客観性の関係を示します。

(1)「確実である」「間違いない」「といえる」「明らかである」といった断定
 客観的事実として扱っても妥当な意見に用います。
 これは意見が客観的に正しいと断定する表現であるため、用いる際は根拠を明らかにしなければなりません。
 根拠を明らかにせずに断定表現を用いると、避けるべき独断的表現になってしまうため、注意が必要です。

(2)「分析される」「予想される」「推察される」「だろう」といった推理
 根拠から、客観的に妥当だと判断される推論によって導かれた意見に用います。
 主に論理や分析手法、考察手順など、根拠と意見を結ぶ推論手順が客観的であることを強調するための表現です。

 なお例の「だろう」は、「分析される」のように推論手順を明示していないので、他の推理表現より主観的な印象が強くなります。
(分析:複雑な事柄を、要素や性質に分けながら推論を進めていくという推論手順)

(3)「と考える」「と思う」「と見る」など執筆者が主語になる能動態
 「(私は)〜と考える」「と思う」といった文末表現は、執筆者を主語にすることで、執筆者の主観であることを強調しています。
 この表現は
・執筆者の意見であること
・責任が執筆者にあること
の2点を強調する際に用いられます。

(4)「考えられる」「思われる」「見られる」といった受動態
 「考えられる」「思われる」「予想される」といった表現は、受動態にすることによってあえて主語(=執筆者)を省いています。
 執筆者の存在を消すことで、客観的な印象を強めているのです。
 そのため、この表現は根拠や推論手順が客観的であることを強調する際に用います。

(5)「ではないだろうか」「ではどうか」「ではないのか」といった疑問形
 主観度の強い意見に用います。
 また、謙遜の姿勢を示すために用いる場合もあります。

 なお疑問形の文末表現は、意見に伴う責任から逃げているという印象を与える点で、レポートでは使用が控えられます。
 「ではないだろうか」といった表現は、あくまで問題提起の文にのみ用いたほうが無難です。

(6)「べきである」「でなければならない」といった主張
 相手に意見を強要する際に用います。
 意見を強要する以上、相手を納得させる、客観的な根拠や推論が必要です。
 これも断定表現と同様、根拠を明らかにしないまま用いると独断的表現となります。

 なおこの表現も能動態表現と同じく、執筆者の責任を強調したい時にも用います。

(7)「可能性がある」「高い」「良い」といった、意見・事実両方で使われる表現
 「可能性がある」「良い」といった、意見・事実両方で使える文末表現は、なるべく事実の記述文で使ったほうが良いでしょう。
 意見の記述文で用いる場合は、「良いだろう」というように、他の文末表現を付け加えたほうが無難です。

 ただ「可能性がある」「高い」などの表現を使った意見の記述文は、根拠を示すことで、比較的簡単に必然的な結論(=事実)の記述文に発展させることができます。
(例えば「高い」は、定量的な比較の文に発展させれば事実の記述と見なせる)
 事実の文に置き換えられるならば、積極的に根拠や基準を加えていくべきです。

「この値段は高いと思う」→「この値段は、従来のものより2割ほど高い」
※基準をつけることで、意見を事実に置き換える

(8)「気がする」「と少なくとも私は思う」「してほしい」「と願いたい」といった、弱気すぎる表現
 「気がする」「してほしい」といった文末表現は、特に主観度が強い意見に用います。
 ただし別項でも述べますが、これらの弱気表現は、意見に伴う責任から逃げている印象を与えるため、社会的な文章では使うべきではありません。

(9)「と感じる」「美しい」といった、感覚・感性的な表現
 感覚や感性は一定でないため、執筆者と読者の間にずれが生じる恐れがあります。
 そのため、正確に読者に情報を伝える必要のある文章では、「と感じる」といった感覚・感性的な表現は使うべきではありません。

 ◆なるべく客観度の強い文末表現を用いる
 主観度の順に文末表現を並べてみます。
←客観的>主観的→
・基本表現
 「考えられる」>「考える」>「思われる」>「思う」>「ではないのか」といった疑問形>「気がする」といった弱気表現

 「間違いない」といった断定表現>「推察される」といった推理表現>「考えられる」といった基本表現

・形容
 「(数値などが)高い」「安い」といった定量的形容>「うれしい」「美しい」といった心情的形容

 レポートなど客観的事実の記述が理想とされている文章では、より客観度の強い文末表現を使ったほうが良いとされています。
 例えば、「思う」より「考える」、能動態「考える」より受動態「考えられる」を使うように、というようなことは論文の指南書などによく書かれています。

 しかし、ただ文末表現を客観度の強いものに置き換えればいいという訳ではありません。
 客観度の強い文末表現を用いるには、信用できる根拠や厳密な論理といった、客観性を高めるのに必要な材料を、相応する分だけ揃える必要があります。

 その点、意見を書く際は、なるべく根拠や厳密な論理を用意して、その客観性を高めるように努力する必要があるといえます。

△「時間ステップの設定値が、その大きな誤差の原因だと思う
○「以下に示すように、時間ステップの設定値はCourantの安定条件を満たしていなかった。
 そのため時間ステップの設定値が、その大きな誤差の原因だと考えられる
○「以下に示すように、時間ステップの設定値はCourantの安定条件を満たしていなかった。
 そこで時間ステップをCourantの安定条件を満たすように小さくして測定しなおすと、精度の高い解析結果が得られた。
 そのため時間ステップの設定値が、その大きな誤差の原因だと見て間違いない
※補強材料を載せて、客観度の強い表現に修正する



■意見の根拠を明記する

 客観性が求めれらる文章では、事実だけでなく、意見も客観的に見て正しいと認識されるように工夫する必要があります。
 具体的には、意見を記述する際は十分に根拠を提示して、意見が必然的に導かれたような印象を読者に与える必要があるということです。

△「統一式の矛盾の原因は、採用している3つの近似式にあると考えられる」
○「統一式の導出過程に誤りはない。
したがって統一式の矛盾の原因は、採用している3つの近似式にあると考えられる」
※他の選択肢を否定することで、意見を必然的な結果であるように見せている

△「フェルミのパラドックスだけで、地球外知的生命体の存在は否定できないだろう」
○「フェルミのパラドックスだけで、地球外知的生命体の存在は否定できないだろう。
なぜなら『恒星間移動が不可能に近い難事である』と考えることもできるからだ」
※反例を提示して、否定意見が正しいように見せている



■価値観に依存する表現は避ける

 客観性が求められる文章では、「美しいコード」「つまらない意見」といった、執筆者の価値観に依存する表現は、客観的な目安が得にくいという理由で避けられます。

 価値に関わる表現は、以下の3つのように客観的な目安が得やすい表現に改めるべきです。

1 事実に置き換える
×「感動的な会見」
○「30年ぶりの会見」

×「このすばらしい光の演出からして、照明にこだわっているのが分かる」
○「専属の照明デザイナーを2人雇うところを見ても、照明にこだわっているのが分かる」

2 比較に置き換える
△「今年の収穫は悪い
○「今年の収穫は去年より悪い」
○「今年の収穫量は、去年より3割ほど減少した」

×「豪華な彫刻」
○「後期ゴシック様式の豪華さを受け継いだ彫刻」
※他の後期ゴシック様式の彫刻と比較することで程度を把握

3 目安を明記する
△「彼の改革は正しかった
○「株価の推移を見る限り、彼の改革は正しかった」



■心情的表現は取り除く

 感情は、客観性や合理性を歪ませる恐れがあります。
 そのため前項の価値観に依存する表現の中でも、特に心情的表現は注意して避けなければなりません。
 心情的表現とは、例えば「悲しむべき結果」「喜ばしい限りだ」「怒りを覚える」がそうです。

 なお、レポートといった客観性が求められる文章では多くの場合、心情的表現を削っても文の目的に影響を与えません。
 心情的表現は積極的に削りましょう。

×「今回の処置はまったく遺憾であり、強い怒りを覚える
○「今回の処置は不適切なものであろう」



■事実の根拠を明らかにする

 事実を記述する際も、意見と同様にその根拠を明らかにする必要があります。
 ここでいう根拠とは、出典や調査手段、実験を支える原理などがそうです。
 事実の根拠をどう明らかにしていくか、以下2つに分けて示します。

1 執筆者とは独立している事実(引用、他所の統計など)
 正しいことが明らかである事実や、調べれば簡単に正しいと確認が取れる事実は、すでに根拠が明らかになっているので、根拠を提示しなくてもかまいません。

×「切り離した測定ロボットは万有引力の法則により海中に落下する」
○「切り離した測定ロボットは海中に落下する」

 一方、それ以外の事実、例えば
・正しいと一概には断定できない事実(仮説、予測など)
・読者が間違っていると誤解する恐れのある事実(常識に反した実験結果、特殊な事例など)
・簡単に正しいと確認がとれない事実(正確な値が分からないなど)
を提示する際は、引用元といった根拠を明記する必要があります。
 さらに、読者が引用した情報が正しいか確認できるように、引用元の文献や統計資料などの詳細を、参考文献といった形で明記しなければなりません。

×「1週間以内に、震度5前後の余震が起こる恐れがあるそうだ」
○「気象庁は、1週間以内に震度5前後の余震が起こる恐れがあると発表した」
※引用元を明記。必要ならば、さらに巻末に参考にした資料や文献の情報を巻末に載せる。

2 執筆者側が確保した事実(調査結果、実験結果など)
 執筆者が確保した事実を用いる際は、確保手段の正しさを文章上で証明する必要があります。

 例えば実験ならば、原理(実験対象の性質、実験方法の理論的裏づけ、補正式など)と方法(実験手順、使用機器、精度など)、結果(実験結果に加えた補正など)を明記しなければなりません。



■事実の信用度を明記する

 事実の中には、仮説や予想、少数意見といった、一概に正しいと断定できないものも少なくありません。
 そうした事実を述べる際は、誤解を生まないよう、信用度を明記する必要があります。

元「恐竜は隕石の衝突が原因となって絶滅したと考えられている
×「恐竜は隕石の衝突が原因となって絶滅した」
※仮説や予測の段階であることを明記する

元「小数の研究者が以上のようなエーテル理論を一方で提唱しているが、定説ではない
×「以上のようなエーテル理論もまた一方で提唱されている」
※定説でないことを明記する



■事実の記述文に主観的な言葉を混入させない

 事実と主観を区別しなければならない以上、事実を記述した文に「うつくしい」「すばらしい」といった主観的な言葉が混入するのは極力避けなければなりません。
 事実の記述文に含まれる主観的な言葉は、客観的な形容に置き換えるか、削除した方が良いでしょう。

×「のどかなA村にきれいな家を建て、愛くるしい子供と共に引っ越した」
○「A村に家を建て、子供と共に引っ越した」



■事実の正誤を確実に示す

 事実でないものを事実として書くのは避けなければなりません。

 特に嘘の記述は絶対に避けるべきです。
 一部で「説得力を増すために体験談を捏造したり、存在しない文献をでっち上げたりすることは、場合によっては許される」などと述べられていますが、そんなことはありません。

 また事実を誤認させてしまうような文も控えるべきです。
 例えば読者の注目を集めるために
×「太陽は西から昇る。
 え、そんなのおかしいだろ、と思われた読者の方もいるかもしれないが、これは一億年前の話である。
 当時は地球の磁極が反転しており、方位磁針の南北が逆転していた。・・・」
といった表現を使うことがありますが、レポートのような、読者が全ての文章を読んでくれるとは保障できない文章では使うべきではありません。
 「太陽は西から昇る」だけを読んで、後の文を読み飛ばす恐れがあるためです

×「太陽は西から昇る。
 え、そんなのおかしいだろ、と思われた読者の方もいるかもしれないが、これは一億年前の話である。
 当時は地球の磁極が反転しており、方位磁針の南北が逆転していた。・・・」
○「一億年前は地球の磁極が反転していたため、方位磁針を基準に取れば、太陽は西から昇っていたことになる」



■誇張表現を使わない

  「驚くべき進化」「世紀の一瞬」「奇跡の生還者」、あるいは「!」「?」といった、印象を強くするための誇張表現は、新聞記事や公告など、社会的な文章でもよく用いられます。
 しかしこうした度の過ぎた誇張は、執筆者によって改変された情報を読者に伝えてしまうばかりでなく、陳腐な印象を与えることもあるため、レポートのような文章では誇張表現は避けるべきです。

×「金の蒸着によって、電圧特性に驚くべき変化が現れた」
○「金の蒸着によって、電圧特性に大きな変化が現れた」
※さらに「大きな」がどの程度なのか具体的に示すと良い

×「青色LED、ついに実現か!?
○「先日、青色LEDの開発に成功したとの発表があった」



□文章構造による強調

 「大胆な」「注目すべき」といった強調表現で用いる修飾は、主観的な要素が混入しがちです。
 そのため、客観性が求められる文章では、強調のための修飾は「特に」「重要なのは」といった主観的でないものに限定したほうが無難です。
 また、修飾を使わずに強調できる手段が他にあるなら、そちらを優先すべきです。

 文章構造による強調は、その修飾を使わずに強調できる手段の1つです。

 ◆強調したい語句は先頭に置く
 修飾を使わずに強調する方法として、強調したい語句を文の先頭に持ってくるというものがあります。
 それは先頭の語句が
・最初に接するため印象が強い
・主語として後に続く語句の解釈に影響を与える
という特質を持っていることによります。

 さらに先頭に置いた語句を読点で文から切り離せば、より先頭の語句を強調できます。

1「目的の方程式に、ニュートン法を適用することで数値解が求まる」(「目的の方程式」を強調)
2「ニュートン法を、目的の方程式に適用することで数値解が求まる」(「ニュートン法」を強調)
3「数値解は、目的の方程式にニュートン法を適用することで求められる」(「数値解」を強調)

 なお3で述語が受動態に変化しているとおり、受動態は強調表現として有効に働く場合があります。
 別項で、簡潔化のために受動態は能動態に改めたほうが良いと述べていますが、この強調表現としての受動態は改める必要はありません。

元「航空材料として、『猫のひげ』と呼ばれるウィスカがある」
○「『猫のひげ』と呼ばれる、ウィスカという航空材料がある」(「猫のひげ」を強調)
○「ウィスカという、『猫のひげ』の異名を持つ航空材料がある」(「ウィスカ」を強調)

 ◆強調したい文は最初と最後におく
 先頭に置くと強調できるのは、文でも同じです。
 文の場合、章や段落、パラグラフ(1つの意味を表す文の集まり)単位での先頭、ということになります。

 強調したい文(=重要な文)を先頭に持ってくることはまた、別項で述べる案内や概要をつけることにもなります。

元「絶縁体の禁止帯幅は数eV以上あり、電子は禁止帯幅を飛び越えることができない。一方半導体の禁止帯幅は数eV以下で、電子は常温の熱エネルギーで荷電子帯から伝導体へ移動できる。
 絶縁体と半導体の違いは、禁止帯の幅にある。両者のエネルギーバンド図を右図2に示す」
→「絶縁体と半導体の違いは、禁止帯の幅にある。
 絶縁体の禁止帯幅は数eV以上あり、電子は禁止帯幅を飛び越えることができない。一方半導体の禁止帯幅は数eV以下で、電子は常温の熱エネルギーで荷電子帯から伝導体へ移動できる。
 両者のエネルギーバンド図を右図2に示す」
(「絶縁体と半導体の違いは、禁止帯の幅にある」を強調)

 一方、文章の最後においても文は強調できます。
 これは一番最後に読んだ文(=一番新しく読んだ文)ということで、記憶に残りやすいためです。


 なおこの点からも、最後に余計な一言をつけるのは、無用な文を強調することになるため避けたほうが良いでしょう。

×「〜。以上から、ISOへの国家レベルでの働きかけが、国内の産業発展に有効であることが分かった。日本政府に更なる努力を期待したい
○「〜。以上から、ISOへの国家レベルでの働きかけが、国内の産業発展に有効であることが分かった」
※「日本政府は更に努力する必要がある」を強調したいのであれば別。

 以上から、強調したい文は、最初と最後両方におけば効果的といえます。
 ただし文章の字数が少ない場合は、同じ文を2度書くのは冗長な印象を与える恐れがあるので、
1 先頭の文は見出しで代用する。最後の文はそのまま
2 先頭の文は、あくまで案内とし簡略化する。最後の文はそのまま
といった調整が必要になります。


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